ライトノベル批評
 キノの旅U  

カバナス・セイジン
(2000.12)
 
 ところが実際に読んでみると確実に技術のレヴェルがあがっているのに驚く。一応この小説、エンターテイメント小説っていうことになっているのだけど、あきらかにその領域を外れている。とくに内容うんぬんというよりも、形式の面において。たとえば、こんな話(第四話「自由報道の国」、ネタばらしあり)。ひとつの事件がある。この事件をめぐっての新聞の報道。ふたつの新聞があって、それぞれまるっきり違う論調で事件を捉えている。つまりひとつの事実に対する視点の複数性。事件なんて見方によってどうにでもかわるというようなこと。被害者と加害者なんて見る方のスタンスしだいで簡単に入れ替わる。公正な報道、あるいは真実なんて存在しない。と、まぁここまではよくある話。『薮のなか』みたいなもので、法廷小説なんかではよく出てくるパターン。けどそこにオチがついてて、この事件というのをキノが遭遇した事件だと思って読んでると、実際には全然関係がないというひっくり返しが最後にくる。実はこの話そのものが、キノが焚火をするのに使った古新聞にのってた記事だったというオチ。ポストモダン系である。ベタといえばそれまでだけど、結構気が利いている。ショートショートでも、なかなかこういうメタ小説っぽいやつにはお目にかかれない。要するに、かなりの技巧派っぷりである。
 こういう細かい技巧というか、ネタをやってるかぎり「キノの旅」がバブリーになってゆく心配というのは、ほとんどないと言っていい。というかむしろ、その逆の路線を行っている感じすらある。つまり、先の「自由報道の国」、よく考えてみると、実際に主人公であるキノが登場する場面は、最後の数ページだけである。これは結構な異常事態ではないんだろうか。ライトノベルの売り物であるイラストレーションも、これでは出る幕がない。キノが出てくる場面そのものが少ないのだから。キャラクタが前面に出てこない物語。だから、とりあえず、ドンパチといった先のハリウッド式の白痴化の心配はない。
『キノの旅U』
時雨沢恵一著
イラスト
 黒星紅白
電撃文庫
(2000.10)
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